かつて上平村(現南砺市)の山奥にたった6軒の合掌造り集落がありました。
桂「かつら」という名前のその集落は越中桂「えっちゅうかつら」とも呼ばれ
県境をはさんで同じような形態で存在した飛騨白川郷の加須良「かずら」集落
(飛騨加須良「ひだかずら」)とともにお互い助け合いながらの生活をおくっ
ていました。合掌屋根の葺き替えや田植え稲刈り、また冬季の病人の搬出など
桂の人たちにとって加須良はなくてはならない存在でした。
 しかし昭和42年にその加須良集落が集団離村したことによって桂だけでの
生活に不安をもった人たちは3年後の昭和45年、とうとう村をあとにする決
意をかためたのでした。現在桂集落は境川ダム桂湖の湖底にしずみ当時の面影
はほとんど残っていません。
 私が初めて「桂集落」という名前を聞き、現地を訪れたのは平成4年の境川
ダム湖底祭りのときのことでした。このときは桂で生まれ育った人達もたくさ
ん集まって、故郷に最後のお別れをしたのでした。
 そのなかに廃村を分校の教員として見届けた寺崎満雄さんの姿もありました。
寺崎先生は昭和41年桂分校に赴任され、廃校になるまでの4年間を桂の教育
のために尽くされました。
 




 寺崎満雄さんは平成29年10月にご逝去されました。

懐かしそうに嬉しそうに桂の思い出を語ってくださった先生。
本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。






昭和45年 桂分校閉校式の様子が「とやまデジタル映像ライブラリー」で公開されました。

桂分校閉校式 〜富山県上平村桂集落〜 (11分50秒)




桂・加須良関連の本が相次いで出版されました。
寺崎先生の「さよなら、桂」と同じく、貴重な古写真が多数あります。

愛しの合掌集落 孤村のともし火
柴田英司著 海野金一郎著
桂書房 桂書房



越中桂写真集
2005.11.7

古写真や当時のお話をもとにまとめてみました。
11/7 bP〜bUまでを公開。



さよなら、桂
寺崎満雄著
桂書房

このたび、下にある「桂分校よさようなら」をもとにまとめられた本です。ぜひ読んでみてください。
当時の貴重な写真もたくさん載っています。




桂の獅子
2003.8.16
桂・加須良交流会にて

シシトリは元桂住民の山本さんです



桂分校閉校式(S.45) 寺崎さん夫妻

→今はダム湖の湖底に



桂分校よさようなら S.47 五箇山民俗覚書
寺崎先生が分校勤務していた5年間をまとめた記録です。
大自然の中での桂の暮らし・素朴な桂の人たち・元気で
たくましく成長していく分校の子供たちの姿が印象的です。
終戦前後の時代、西赤尾小学校・上平中学校で教鞭をとられた石田外茂一(ともいち)先生が五箇山の民俗・風習や自らの体験を綴った記録。石田先生の志に感銘を受けた寺崎先生のご尽力によってこの度出販されました。



西赤尾小学校桂分校

大正4年季節分校として開校される。
常設となったのは昭和9年のことで
昭和45年離村に伴い廃校になるまで
桂の教育の象徴でした。




  閉校式の数日後、分校を訪れた寺崎先生は思いでのつまった黒板にメッセージを残されました。

      分校最後の児童だった中谷さんと山本さんが閉校式で歌った「さようなら」の歌
            
桂よ さよなら あけび ぶどう くるみ なめこ さよなら 桂よ

             森 前校長が閉校式に送った電報に添えられてあった詩
 
桂の流れはかわらねど 分校終わるにことばなし かわらぬ桂の空に縁ありし人の未来を ただ祈る

分校を去るにあたり、ここでご苦労された先輩の先生方や絶えず私どもを励まし、ご指導くださいました
多くの方々に心からの感謝とお礼を申し上げます。いつの日にか桂が再び蘇ることを祈念しつつ・・・
      初雪が 茅葺きの家を つつむころ 桂の里に 住む人ぞなし       寺崎満雄



蓮如上人の御霊水

由来
文明年間(1469年)蓮如上人が加賀二俣から飛騨白
川へ抜けられる途上この地桂の「やまだ家」に宿泊され
ました
当時桂集落の人々は川水を飲料水として使用していたが
折からの雨で川水が濁り集落の人々は困っていました
それを見られた蓮如上人はやまだ家の後方山側に杖を差
し込れそこから清水が滾々と湧き出るようにされました
以後桂集落の人々はこの水を「蓮如上人の御霊水」とし
て大切に用いました
                 
−記念碑文より−

      ※石碑は現在、桂湖のほとりに移されています。


山本家(あらや)

明治30年頃に建てられた桂で一番
新しい合掌造りでした。
現在は岐阜県の大滝鍾乳洞に移築
されています。


山田家(しま)

川崎市の日本民家園に移築保存されていて江戸時代中期の建築といわれています。


表家(おもて)

一家の離村によって東京の料亭に買い取られたが
翌年の大雪によって倒壊してしまいました。
その後、国外に移築されたという話もありますが、
現在のところ確認できていません。

井並家(ろくべ)

岐阜県の下呂温泉合掌村に「伊並家」という家が
あります。この家が移築されたものかもしれません
・・
って書きましたが、中谷家とともに伊豆方面に移築されたようです。
                        (未確認です)



桂の子供達

中谷家(なかね)

 山田家(なや)


飛騨加須良集落

山向こうの白川村加須良にあった合掌造り集落
昭和42年に全戸離村しました。
建物は高山市の「飛騨の里」、白川村の
「合掌造り民家園」などに移築されています。

→移築された合掌造りへ

旧西岡家(飛騨の里)

旧中野家(合掌民家園)


五箇山・白川郷の合掌造りへ